これは、ノンフィクション。
長文なため、時間があるときにご朗読を。
うちの家系は無宗教。
父は無宗教。
母は山と太陽の神を勝手に信仰している。
自分は友達がいなかったので、情報提供がほとんどなく神々の理解がなく、
存在も知らないといったところ。
今回は、自身の生い立ちも含まれます。
信仰の自由のため、論理的な内容はそれぞれなのでご了承ください。
小学4年でキリスト教を知る
教会で、日曜学校というものがある。
もう昔の話だが、お昼のうどんが140円で食べられるということにつられて教会に行った。
その教会に通っている同級生の男の子に誘われた。
普段は自分は学校では嫌われ者で友達もいなく、家に帰ればずっと一人だ。
毎日テーブルの上に200円がお小遣いとして置いてある。
その余りを残しておいて何かの足しにする。
その男の子は、どういうわけかいつも話しかけてくれていた。
昔で覚えていないが、確か「教会で日曜学校があるから行かない?」というような感じで、よくわからずに日曜日に1時間かけて歩いて教会に行った記憶がある。
初めて行ったとき、新約聖書をもらえた。
そして讃美歌。
朝行くと、必ず始めのフレーズ「天にまします我らの父よ」から「アーメン」で締めて、聖書の1節を読み上げた後に讃美歌を歌って、休憩する。
お昼の食事をして解散となる。
牧師先生の話だったり、何か行事があったような気もしたけど。
イエス様はキリスト(救世主)なのか
教会にいる人たちは、みんな声をそろえてイエス様が見ているという。
なんでもイエス様。
キリスト教の聖書は、新約聖書と旧約聖書が存在する。
旧約聖書はかなり分厚く、新約聖書はコンパクトな感じがした。
自分は真面目な生徒ではなかったので、聖書の中身があまり知らないのが残念。
目次を暗記したこともあるけど。
ある日、ふと立ち止まった。
確かにイエス様は素晴らしい方だ。そう思う。
しかし、イエス様は今はいない。
いないのに、どうやって見ているのだろう。
空から。天から。上から。
いなくなったから空から見ている。
みんなに聞いてまわって、回答は、とにかく見ている。とだけ。
先生方は、みんないい人だけど。
疑問を持ってしまって、だんだんと教会には行かなくなった。
先生方に聞いても、曖昧で回答がない。
それとも子供だと思われて、答えてくれなかったのだろうか。
今では聞く術がない。
心理学、心の拠り所
小学校から中学校に移り、相変わらず家には誰もいない毎日。
ちょうどその頃、食事が取れなくてガリガリに痩せた。
小学校の高学年あたりから、毎日外食している食堂がある。
父が帰らないので、毎日この食堂で晩ご飯を済ませた。
清算は月終わりで。
理由がわからないが、食べると嘔吐してしまうという感じで、精神的なものじゃないかと外食をしているお店の人に言われた。
54キロから38キロまで痩せても、あんまり心配されることはなかった。
この食堂のおじさんとおばさんだけで。
その時住んでいたアパートを追い出される半年前から、父は外食の支払いをしていなかったので働いてから返済しようと尋ねたところ、出世払いと受け入れてもらえなかったけど。
中学時代はちょうどダイヤルQ2が流行った時期。
自分のマイブームは、心理学の本。
たくさん読んで、なんだか自分を理解してくれたような気がして気分が良かった。
「自分に気づく心理学」加藤泰三著者。
なんて素晴らしい人なんだと感動した。
本が積み重なるくらいになったとき、また、ふと感じた。
すべてが結果論。自分への対策が見当たらない。
結果的にこのような人格になる、という書籍。
ではどのように対策をすれば変われるのか、変化できるのか。
それが書かれていないのだ。
ただ、このような原因によって自分の性格が出来上がる、という知識は自分のものに。
誰から聞いたか、心理学は結果が出ないので哲学の道に入るしかない、と聞いたことがある。
家族という他人
何の教養もなく中学を卒業する。
このような状態では高校には行けず、COMME CA DU MODE(コムサデモード)の服の裁断の工場に15歳で就職した。
この仕事が嫌いで、1年で退職。(いろいろあった)
仕事の決め方を理解できずに、先生や親の話で決めていたので辛い毎日だった。
その後、アルバイトで生計を立てる。
というか働き方を知らず、半年ほど実家で過ごす。
複雑すぎて詳細を書くと長くなる。
父親から母親に代わるという形。(家を追い出される)
その後の父の行方は(当時)わからない。
日刊アルバイトニュースかフロムエーの募集でバイトを探した。
その頃、本当に母とその旦那、自分は嫌われている。
誰もかばおうとしてくれない。
決して口答えはせず、髪も染めていない真面目な10代。
母は再婚相手の旦那さんの味方。
小さな子供もいて、とても可愛がっていた。
再婚した母とその旦那さんの間で生まれた子どもがいる。
義理の弟にあたる。
台所で自分はいつも食事をしていた。
母と旦那さんと弟は、部屋で食事。とても入れる状況ではない。
それを横目で毎日見ている。
可愛い弟だ、確かに、純粋無垢。
弟に、綺麗な夜景を見せたくて、夜ふたりで出かけたことがあった。
当時の弟はまだ幼稚園で、自分は16歳。
その頃に住んでいたマンションは駅から5分以内で、池袋まで電車で5分もかからない近さ。
夜22時前、弟を連れて東武デパートの8階の屋上に行き、夜景を見せた。
それだけの用事だったので、そのまま家に帰ると、親からとても怒られた。
言い尽くせない状況で、私は母からハサミで髪をショートカットにされ、「色気づいた髪を切ってしまえば、夜出ていくことはないだろう」と、吐き捨てられるように。
こんな状態でも、決して涙一つ見せることはしなかった。
仏教聖典、その素晴らしき出会い
17歳の頃、朝昼晩とバイトに没頭した。
仕事をしていることが自分にとって一番ほっとする時間。
家にいると、こんな辛いことはない。
夜遅く、部屋の電気をつけていると弟が起きている。
それを見た父親が「お前のせいで子供が起きている」と、いきなり殴られて、とうとう出て行けと言われ、17歳で家を出ていくことになる。
その場で出ていったわけではなく、後日勝手に出て行った。
知り合いの家に泊まっていたが、母親がここに住むようにとアパートを提供した。
母は飲み屋をやっていて、フィリピンの子も数人そのアパートに一緒に住んでいた。
同級生の仲のいい友達に新宿にでも行こうと誘われ、男の人ふたりに声を掛けられる。
この出会いが仏教を知るきっかけとなる。
彼が部屋に来たとき、オレンジ色の事典を見つけた。
なんだか難しそうな英語と日本語が同時に略されそれぞれ載っている。
これが仏教聖典。
仏教の観念がないので、そのまま受け入れられた。
今まで生きてきた自分の人生の全く反対の事柄が描かれている。
自分は家族の愛情を知らない。
人間という生き物は元々は清らかだったが、わずかな欲望から満足させていくたびに沼にはまっていく。
一度快楽を経験してしまうと、また経験したいと思うことによって飽くなき追及が始まる。
この生命欲もその一つ。
今になっては内容を覚えていないので具体的なことは忘れたけど、しばらく彼からこの本を借りていた。
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