いつの時代でも、人が亡くなる情報がネットでもどこでも情報公開される。
有名な人たちが。
身近な友人でも、身内でも起こりうる現実。
そして、自身でも起こりうる未来。
まさか、最も身近な身内に起こるなんて。
今さっきまで、呼吸をしていた。
体は暖かく、動いていた。
息苦しくしていた呼吸が、普通に止まる。
体温より早く数秒で肌の色が変わっていく。
どういうわけか、今まで生きていたとは思えない顔つきになる。
いわゆる蝋人形のよう。
ただ数時間経っても、体は暖かい。
どんな気持ちでいたのだろう。
何を思っていたのだろう。
何もしてあげられなかった自分に絶望する。
過去は走馬灯のように巡ったが、未来は絶望と闇しか映らなかった。
まさか、自分の身内に
最も大事な人が、闘病生活なんて。
脳幹(のうかん)出血、ご存じだろうか。
昭和時代、テレビ番組で「必殺仕事人」という時代劇があった。
この仕事人の中で、うなじの近くに針を刺し、殺すという。
そう、この場所が脳幹。
脳の中でわずか5%しかないが、損傷すると植物人間になってしまう。
いわゆる脳死だ。
脳の中で出血が起こると、血液に触れた部分は全て死んでしまう。
そして浸透して吸収していく。
この吸収していく過程で、現象では意識障害となっていて、起きてはいるけど記憶がない状態。
脳幹は呼吸をつかさどり、生命を意味する。
大体倒れて2.3日、あるいは人工呼吸器を付けて3か月以内に死亡してしまう。
生存率20%
なので、その日が危篤だった。
駆けつけてくれた会社の人にも、今の状況を説明するとき平静を装う自分が壊れそうで、簡単に説明、話したくもなかったけど、平静を装わなければ。
だいぶ待たせてしまった。
会社の方々、ずっと待って彼の病状を聞くために。
身内しか病状は明かされない。
一言、言葉を放つだけで、涙がこぼれそうだ。
耐えろ、耐えるんだ。泣くな。
本当ならその日、病院に泊まってもいいくらいだったが、悲しみに耐えきれず一晩中泣きまくりそうなので、帰ってしまった。
翌日、病院から連絡があり、命は取りとめた、と言われた。
状況を見に行くと、口に素管されて酸素を入れていた。
呼吸が弱く、空気と酸素を口から入れている。
人工呼吸の可能性もあったが、自分でしっかり呼吸できていると言われた。
出血の広さによって、あるいは出血の部分によって後遺症の重さが変わってくる。
重たい後遺症を10年持ち続けて、癌が発覚した。
その知らせを受けた時には、ステージ4。
身体障害者の上、癌とは。
本当に癌とは恐ろしい。
方法がない。そして情報がない。
本当に辛かった。
いやきっと、本人がもっと辛かっただろうと思う。
その苦しみを自分に少しでも分けてもらえたら、本当に光栄だった。
この手が自分の手を握ってくれた。
問いかければ、その言葉に答えてくれる。
苦しいよね、「うん、うん」
ああ、もう、どうしたら。どうしたらいいの。
ありとあらゆることをしてきた。
その瞬間まで生きていた。
ふたりだけの、そして自分にしかない記憶の中の時間。
ただひとつ、タメになった本があった。
進行性の癌だったが、数か月とても緩やかに進行させた。
いや、そうじゃない。
医師は、進行していないと言っていた。
それは温熱と食生活。
その通りにしていれば、よかったのだ。
選択判断を誤ってしまったのだが、2度のチャンスは無いと悟った。
誰も教えてくれない。
進行が止まった癌がわずか3ヶ月で死に至らしめた経緯とは。
その理由は後日、違う記事で紹介することにしよう。

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